この3つの産地は密接しており、時代によっては有田と伊万里を総称して有田焼とも呼ばれていた。現在では有田地区の産品を有田焼、伊万里地区の産品を伊万里焼と呼んでいるが、英語での名称も含めて伊万里焼と称される事が多い。
有田焼を代表するのは、1660年代から始まった濁手(にごしで)と呼ばれる乳白色の生地に、上品な赤を基調とし、余白を生かした絵画的な文様を描いた柿右衛門様式である。ほぼ同時期に古九谷様式もあるが、製造時期の違い、顧客の違い(古九谷は国内向け、柿右衛門は輸出向け)はあるが窯の違いでは無い。
17世紀末からは金彩を交えた豪華絢爛な金襴手も製造されるようになった。古伊万里とも称され、中国明代の金襴手を模倣したもので多くは輸出された。
また17世紀末から波佐見では、庶民向けに厚手の生地に、簡略された同じ模様を描き込んだ碗類を大量に生産した。くらわんか碗とも呼ばれている。
一方伊万里の大川内山では幕府や大名などへの献上品のみを焼いていた鍋島藩の藩窯がある。外部から隔離された環境で職人を保護、育成し最高級の作品を輩出したが、時代を下がるにつれて質はやや下がる。この伝統を受けてこの地方の産品は鍋島焼と呼ばれている。
有田焼には伝統的な手描きと、大量生産コスト削減を目的とした転写の技術が存在する。また一部を手書きで行い他の部分を転写するといった技法もあるが、風合い、価格等に応じて使い分けられている。
この地方の人間国宝としては、
- 十三代今泉今右衛門
- 十四代今泉今右衛門
- 十四代酒井田柿右衛
- 井上萬二
がある。