薩摩焼には絢爛豪華な色絵錦手の白薩摩と大衆向けの黒薩摩とがある。初期の薩摩焼は文禄慶長の役の際に連れてきた朝鮮の陶工が島津義弘の保護の下に発展させた。
白薩摩は日置市の美山にある苗代川窯で、藩主向けの御用窯であった。金、赤、緑、紫、黄などの豪華絢爛の色絵錦手が主である。1867年のパリ万博に出展され現地で好評を博した。欧米ではSATSUMATO呼ばれ、薩摩焼の影響を受けた陶器が数多く製作された。
薩摩焼の輸出が拡大するに連れて、京都、横浜で絵付けされた京薩摩、横浜薩摩と呼ばれるものも誕生した。
薩摩焼の作家としては十四代沈壽官が名高い。