一楽、二萩、三唐津と言われるように、茶人好みの器を焼いてきたことで知られる焼き物である。萩焼の特徴は原料に用いられる陶土とそれに混ぜる釉薬の具合によって生じる貫入と使い込むことによって生じる七化けがある。貫入とは器の表面の釉薬がひび割れたような状態になることで、七化けとは長年使い込むとそこにお茶やお酒が浸透し、器表面の色が適当に変化し、枯れた味合いを見せることである。
萩焼は慶長の役の際、藩主毛利輝元の命によって連れてこられた、朝鮮の陶工 李勺光(坂倉家)と李敬(坂家)の兄弟によって始まり、当初は緒戦半島の高麗茶碗に似ており、手法も形状も同じものを用いていた。坂家の三代までを古萩と呼び萩焼の黄金時代である。
その後明治時代に苦境に陥ったが、三輪休雪が休雪白とという独特の作風を確立するなどして萩焼を中興している。
また、1875年に豪商熊谷五一が表千家の千宋左を長期に招待し、多くの門弟が表千家に入門しした。その返礼として、一楽、二萩、三唐津のキャッチコピーが広められたとしている。
萩焼の技術は1957年に文化財保護法による無形文化財に選択された。
人間国宝としては、三輪休和(十代三輪休雪)、三輪壽雪(十一代三輪休雪)がいる。